月見うどんの食べ方


2003年12月8日

 私たちが月見うどんを食べるとき。そこには根源的、かつ不可避の問題が付きまとう。つまり、月見うどんの玉子をいかにして食べるかという問題である。

 月見うどんを食べる者は、大きく分けて以下の二つのグループのどちらかに属する。つまり、玉子を箸でかき混ぜ汁と渾然一体にして食すか、もしくは、一口に玉子を飲み干すか、そのいずれかである。両者共にその食し方は一長一短であり、どちらかが一方的に勝っているということはない。

 まず、玉子をかき混ぜ汁と一体にして食す者たち。彼らのメリットは、なんといっても玉子が汁と一体化するため、最後の一滴を飲み干すまで「月見」の恩恵を得られることにある。また、玉子を溶くことにより汁の味も若干の変化を得る。しかし、玉子をかき混ぜることのメリットは、そのままその行為のデメリットでもある。玉子を汁にかき混ぜてしまった時点で、あなたには既に汁を残すという選択肢を失っている。仮にかけうどんが180円、月見うどんが230円の店で月見うどんを食べているとすると、玉子を溶かした後で汁を半分残すことは、すなわち25円の損失を意味する。あなたは玉子を溶かした以上、何があろうと最後まで汁を飲み干さなければならないのだ。また、玉子を溶かすことによる汁の味の変化を、好ましく思わない人も多い。

 一方、玉子を一口に飲み干す彼らはどうだろうか。彼らの強みはなんといっても、「月見うどん」という字義に大きく助けられることだろう。つまり、「月見うどん」と名乗るからには、その玉子入りうどんは月見になぞらえなければならない、という理屈である。確かに、黄身を満月、白身を月にかかる雲になぞらえてこその月見うどんであり、それをぐちゃぐちゃと溶いてしまえば、月見の名を冠するべきではないかもしれない。
 また、一口で玉子を飲み干すことは、前述の、玉子をかきまぜるデメリットの全てを回避できる。玉子を一口で飲み干せば汁の味は変わらず、汁も気軽に残せる。
 だが、玉子を一口で飲み干すことがあなたの取りうる最適な手段というわけでもない。玉子を一口で飲み干す最大の問題点は、飲み干した後の寂寥感にある。あなたが「かけうどん」ではなく、「月見うどん」を食べた気になるのは、玉子を口に含んだその一瞬だけであり、その輝かしい一瞬が過ぎ去れば、あなたの手元に残る物はただの「かけうどん」である。また、一口で玉子一つを飲み干すことは、当然ながら玉子の味を濃く味わうわけであり、それに耐えられない人もいるだろう。

 このように、玉子を汁に溶いて頂く人も、玉子を一口で飲み干す人も、双方何がしかの問題点を抱えており、どちらの陣営に属する人も月見うどんには何か割り切れない思いを抱いていたのではなかろうか。かくいう私も例外ではなく、生まれてこの方20年以上この問題に頭を悩ませていた。しかし、度重なる試行錯誤の末に、私は両者の折衷案ともいうべき妙案を編み出し、それ以降、月見うどんに対し何らの戸惑いもなしに対処し得るようなった。ここで、私が編み出したその妙案を公開しようと思う。

 まず、玉子の固さ黄身の膜が箸で少々突ついたくらいでは壊れない程度が良い。うどんを自作するのであれば、沸騰した鍋に玉子を落とし蓋をして45秒といったとこだろうか。店などで月見うどんを頼み、出来上がったうどんに生卵を落とす場合であっても、うどんを半分程度食べるまで玉子を奥の方に沈めておけば良い。似たような状況になる。
 玉子に触れず、うどんを半分ほど食べたなら、あなたは慎重に黄身の真中に穴を穿つが良い。その穴から黄身がゆっくりと溢れ出てくるだろう。黄身は少し固くなっているため、すぐに汁と渾然一体となることはない。あなたはおもむろにを箸でつかみ、そのゆっくりと溢れ出る黄身に浸した後、そのまま口に運ぶ。あなたは黄身の濃い味を麺と一緒に楽しむことが出来るだろう。これを何度か繰り返していると、流石に黄身が崩れ、汁と渾然一体となる。汁と完全に同化してしまう黄身の量は黄身全体の半分から1/3といったところだ。黄身が汁と一体化したら、後は「玉子を溶いて頂く人たち」と同じである。うどんをすすり、汁を飲むがいい。

 私の提示する、この月見うどんの食べ方の素晴らしい点は、先に述べた二者の抱えるデメリットの多くを解決していることである。黄身は麺と一緒に頂くため、黄身を丸々一つ飲み込むほど味が濃くはない。黄身は汁と一体化するが、丸々一つを溶いたわけではないため、汁の味の変化は控えめである。濃い黄身を楽しんだ後に汁一滴まで玉子を味わえるため、月見うどんの玉子のありがたみを十分に感じることができる。この方法を用いれば、あなたは玉子を程よい濃さで楽しめ、玉子が無くなる寂寥感とも無縁である。あなたの月見うどんは、決して「かけうどん」となることはなく、最後まで「月見うどん」のまま、あなたの舌を喜ばせる。
 また、この食べ方は、「月見うどん」の字義的な問題も解決する。玉子を一口で飲み干す人たちは、玉子を満月に見立て、己の目を楽しませながらうどんをすするが、あなたは一歩進んだ解釈を月見うどんに与えることができる。すなわち、あなたの月見うどんは、水面(みなも)に映る満月である。あなたは最初、玉子を崩さずにうどんを食べるだろう。このとき、水面は静かでそこに映る月は美しくその姿を称えている。うどんを半分ほど食べた頃、あなたはその水面へ箸という名の小石を投ずる。すると、静かだった水面に波紋が生じ、それまで美しい円形を称えていた月はその姿を崩し出す。波紋に揺れる満月はゆっくりと周りの情景と溶けこんでゆくだろう。あなたは少しずつ汁と一体化する黄身を見ながら、そのような状況を仮託し、楽しむことができるのだ。
 
 この方法を用いれば、あなたは最後の一滴まで、月見うどんを楽しむことができる。あなたの月見うどんライフは2倍にも3倍にも有意義なものとなるだろう。だが、この問題にも欠点がある。まず一つには、最後の一滴まで汁を飲み干さなければならないことに変わりはないことだ。私のような貧乏人には、そもそも「食べ物を残す」という概念がないため問題にならないが、人によっては大きなデメリットだろう。もう一つはやはり字義的な問題で、それは波紋を生じた水面は、時間と共に月を元の円形に導かないことである。これはちょっと変だ。納得いかない。しかし、一度崩した玉子を、再び円形にすることなんて出来ないので、これは諦めるしかないだろう。

 月見うどんの食べ方は多くの人の悩みの種だと思われる。それゆえ、私はこのように筆を取ったのだが、もし、あなたに十分な経済的余裕があり、また、黄身の濃い味が全く気にならずコレステロールを気にすることもないのであれば、玉子を二つ入れて、一つはかき混ぜ、もう一つは一口で飲む方法があなたにとってはベストな方法であるのかもしれない。

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